
映画『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』を観終えたあなたの脳裏に、今も鮮烈に焼き付いているシーンはなんだろうか。断崖絶壁からのバイクジャンプか、それとも暴走する列車での死闘か。どれもがシリーズの歴史を塗り替える名シーンであることは間違いない。
だが、多くの観客が「最高だった!」と口を揃え、思わず笑みがこぼれてしまうシーンが一つある。そう、イタリア・ローマの市街地で繰り広げられた、あのカーチェイスだ。
手錠で繋がれた男女、悲鳴をあげる小さな黄色のフィアット500、そしてどこまでも続く石畳の道。世界を救うはずの最強エージェント、イーサン・ハントが、キャリア史上最も不運で、最も滑稽な窮地に陥るあのシークエンスは、我々の心を鷲掴みにして離さなかった。
あれは一体、何だったのか?
単なるドタバタ劇ではない。あのシーンには、トム・クルーズと製作陣の常軌を逸した執念、計算され尽くした脚本、そして映画史への深いリスペクトが隠されている。
- スタントの狂気: 小さなフィアットが「電動モンスター」に改造され、ヘイリー・アトウェルが5ヶ月の猛特訓でドリフトをマスターした裏側。
- ユーモアの秘密: イーサン・ハントをあえて「困らせる」演出と、70年代の名作コメディ映画から受け継いだ巧みな脚本術。
- 1秒の芸術: 観客を1ミリも飽きさせない、超絶的な編集技術「空気の排除」の哲学。
さあ、シートベルトを締めろ。我々は再び、あの熱狂のローマへ飛び込む。この追跡劇の「本当の姿」を、今から徹底的に解剖していく。
【スタントの狂気】CGなしは序の口!トム・クルーズと製作陣の常軌を逸した執念

「どうやって撮ったんだ?」――観客の誰もが抱くこの純粋な疑問こそ、製作陣への最高の賛辞だろう。だが、その答えは我々の想像を遥かに超えるものだった。「CGなし」という言葉だけでは到底表現しきれない、狂気と呼ぶべき彼らの執念を見ていこう。
主役は”黄色い悪魔” ― 改造フィアット500の正体
そもそも二人がこの小さな車に乗り換える羽目になったのは、BMWとの長年の提携を誇る本シリーズならではの、壮大な前フリがあったからだ。グレースが駆る警察仕様の2020年製BMW 330eを、イーサンが2020年製BMW G 310 GSバイクで追い、手錠で繋がれて乗り込んだ2021年製BMW 540iも大破。万策尽きた彼らが最後の頼みとして転がり込んだのが、あの黄色いフィアット500だったのだ。
まさに、このカーチェイスの紛れもない主役だ。ベースとなったのは、キャンバストップと後ろ開きの「スーサイドドア」が特徴的な、1950年代後半から1960年代前半の初期モデルとみられる。そのマンガのように小さな車体は、屈強な追手の車両との対比で多くの笑いを生んだ。
だが、あの可愛らしい見た目に騙されてはいけない。本来、スピードとは無縁のはずのこのクラシックカーは、撮影のために強力な電動エンジンを搭載して改造され、「まるで何かに憑りつかれたかのような」驚異的なスピードを発揮するモンスターマシンへと変貌を遂げていたのだ。
監督のクリストファー・マッカリーは、舞台裏映像で次のように語ったそう。
We built this Fiat 500 so that it would be faster – some would even say the car is possessed
出典:The surprising little star of “Mission: Impossible – Dead Reckoning Part One” | Hagerty UK 2025年6月20日閲覧
[このフィアット500は、より速く走れるように作られました。中には、この車に取り憑かれているとさえ言う人もいるでしょう]
ちなみに、ファンの間で噂された「この鮮やかな黄色は、宮崎駿監督の『ルパン三世 カリオストロの城』へのオマージュではないか?」という説。これについてマッカリー監督は、単純に「独特で楽しい色」だったからと明かしており、実はこれまで同作品を観たことがなかった、という面白い後日談までついている。
さらに面白いのは、ジェームズ・ボンドのボンドカーのように様々なガジェットが搭載されているにもかかわらず、イーサンはそれを全く使いこなせない。最強スパイの権威を失墜させ、フィアット自身を一個の気まぐれなキャラクターとして際立たせる。この巧みな演出が、シーンの独自性を決定づけているのだ。
5ヶ月の猛特訓!ヘイリー・アトウェルを”ドリフトの達人”に変えた片手運転の真実
このカーチェイスが特別なのは、イーサンが一人で奮闘するのではなく、ヘイリー・アトウェル演じるグレースとの二人羽織り状態だった点にある。そして驚くべきことに、あの危険なスタントの多くでハンドルを握っていたのは、アトウェル自身だった。
彼女はこのシーンのため、イギリスで実に5ヶ月もの間、ドリフト走行の猛トレーニングを積んだという。その結果、様々な車を自在に操る「熟練のドリフトドライバー」へと進化したのだ。トム・クルーズが「君ならできる」と彼女に運転を任せたという事実は、二人の役柄だけでなく、演者自身の間に生まれた強固な信頼関係を物語っている。
実際の撮影現場での心境をアトウェルは、次のように明かしている。
By the time I got out to Rome, the real challenge and obstacles of driving around an old city like that on cobble streets, with people watching, lots of equipment, lots of crew around, paparazzi around, people looking out their windows, wanting to come and see Tom – all of these added elements meant that there had to be no doubt in my mind that I was capable and competent of the actual task of drifting.
出典:INTERVIEW: Hayley Atwell Actually Learnt to Drift a Fiat 500 for ‘Mission: Impossible Dead Reckoning Part One’ 2025年6月20日閲覧
[ローマに着く頃には、あの石畳の道を走るという、あの古都の真の挑戦と困難を目の当たりにしていました。周りの人たち、たくさんの機材、たくさんのクルー、パパラッチ、窓から外を眺める人たち、トムに会いに来たがる人たち。こうした様々な要素が加わって、自分がドリフトという実際の任務をこなせる能力と実力を備えていることに、疑いの余地はなかったんです]
手錠で繋がれ、一つの身体のように動かざるを得ない状況で撮影されたこのシーンは、単なるアクションを超え、二人の絆が生まれる瞬間を捉えたドキュメンタリーでもあるのだ。
ローマの街は”セット”だった?スペイン階段に隠された撮影の秘密
ローマの石畳の道は運転を極めて困難にし、スタントコーディネーターが「危険だった」と語るほど過酷な現場だった。そんなリアルなロケーションで撮影を敢行する一方で、製作陣は驚くべき方法で最大の見せ場を作り上げていた。
多くの観客が度肝を抜かれた、フィアットがスペイン階段を転がり落ちるあのシーン。実は、ローマの実際の階段で撮影されたものではない。歴史的建造物を損傷から守るため、彼らはイギリスのスタジオに、本物と見紛うばかりの巨大なセットを建設して撮影したのだ。
「可能な限り実写で撮る」という執念と、「守るべきものは絶対に守る」というプロフェッショナリズム。この両立こそが、『ミッション:インポッシブル』が世界から愛される理由に他ならない。
【ユーモアの秘密】なぜあれほど面白いのか?計算され尽くした”笑い”の設計図

このシーンのもう一つの魅力は、心から笑えるユーモアのセンスだ。手に汗握るアクションと爆笑が同居する奇跡的なバランスは、どのようにして生まれたのだろうか。
イーサン・ハントを”困らせる”という逆転の発想
トム・クルーズは、観客がイーサン・ハントというキャラクターをより好きになる秘訣を熟知している。それは、彼が完璧なヒーローであり続けることではなく、時に困惑し、屈辱を感じるような「少し風変わりな姿」を見せることだ。
彼は本作で、意図的にその「隙」を演じている。最強のエージェントが小さな車に翻弄され、壁にぶつかり(この衝突は実際のハプニングだったが、即座に演技に取り入れられたという)、どうしようもなくアタフタする。その人間的な姿を見て、緊張から解放され、彼を愛さずにはいられなくなる。
元ネタは70年代の名作コメディ!『スティング』から受け継いだ魂
このカーチェイスが描く「猫とネズミの追いかけっこ」のような関係性や、苛立ちを伴うユーモアは、『おかしなおかしな大追跡』や『ペーパー・ムーン』、そして『スティング』といった1970年代の傑作強盗映画から多大な影響を受けている。アトウェルはそれらの映画から多くのことを学んだ。
We watched… lots of movies that… a kind of wholesome, endearing, exasperated relationship between the protagonists. From out of that, the Fiat 500 kind of came in as a third character in their, sort of momentarily romantic comedy that happens in the middle of this car chase.
出典:INTERVIEW: Hayley Atwell Actually Learnt to Drift a Fiat 500 for ‘Mission: Impossible Dead Reckoning Part One’ 2025年6月20日閲覧
[主人公たちの健全で愛らしくも苛立ちに満ちた関係性を描く映画をたくさん観ました。その中で、フィアット500は、カーチェイスの真っ最中に起こる、いわば一時的なロマンティックコメディの3人目の登場人物として登場したんです]
ただ派手なだけでなく、キャラクター同士の心理的な駆け引きや、どこか懐かしいドタバタ感を織り交ぜることで、シーンに映画史的な深みを与えている。我々が感じた楽しさの裏には、映画への深い愛とリスペクトに満ちた、巧みな設計図が存在したのだ。
【1秒の芸術】観客を飽させない編集の魔法「空気はすべて削ぎ落とす」

どれだけ素晴らしい素材があっても、最終的に観客の体験を決定づけるのは「編集」だ。このシーンの編集を担当したエディ・ハミルトンは、一つの哲学を徹底したという。それは、観客の意識が逸れる瞬間、すなわち「空気」を徹底的に削ぎ落とすことだ。ハミルトンは「空気」のことを次のように説明する。
And by air, I mean moments where the audience is given even a tiny moment for their mind to wander.
出典:Mission: Impossible editor Eddie Hamilton talks Dead Reckoning 2025年6月20日閲覧
[ここで言う「空気感」とは、観客がほんの少しでも心を自由に遊ばせる瞬間のことです。]
次から次へとトラブルが発生し、息つく暇もない。それでいて、何が起きているかは完璧に理解できる。一瞬一瞬を重要かつ魅力的に繋ぎ合わせ、「もう少し見たい」と観客に思わせるギリギリのラインを攻め続ける。この神業のような編集こそが、我々を1ミリも飽きさせることなく、物語に没入させた最大の要因かもしれない。
カーチェイスは終わらない!PART TWOへの布石と次なる見せ場への期待
ローマでの一件は、イーサンとグレースの関係性の始まりに過ぎない。そして、忘れてはならない追跡者がもう一人いる。ポム・クレメンティエフ演じる冷酷な暗殺者、パリスだ。
彼女もまた、本作のようなアクション作品へ出演するためにトレーニングを積んできたという。『ミッション:インポッシブル』への出演はひとつの夢だったという。そして撮影を終えた後にドライビングのレッスンを受けたことを明かしている。
It’s funny because I wanted to even be a better driver after I wrapped the movie so I took lessons for drifting and doing donuts
出典:Pom Klementieff Explains Origins Of Her Mission Impossible Look 2025年6月20日閲覧
[面白いことに、映画の撮影が終わった後、もっといいドライバーになりたかったから、ドリフトやドーナツのレッスンを受けたんです]
さらにはバイクのスタントトレーニングも積んでいる。戦車のようにハマーH2を乗り回し、イーサンたちを追い詰めた彼女の存在は『ファイナル・レコニング』でさらに活躍することが期待できる。
改造されたフィアット、シリーズお馴染みのBMW、そして猛然と迫るハマー。
『デッドレコニング』で描かれたカーチェイスは、壮大な物語の序章に過ぎない。彼らの追跡劇は、まだ始まったばかりなのだ。
まとめ:ローマの熱狂はなぜ生まれたのか?
まさに、ローマのカーチェイスは奇跡の産物だ。製作陣の常軌を逸した【スタント】、最強スパイの人間味を描く計算された【ユーモア】、そして観客を1秒も飽きさせない【編集】の芸術。この三位一体が、我々をあれほどまでに熱狂させたのだ。
よくある質問(FAQ)
- Qカーチェイスは本当にCGなし?
- A
はい、ほとんどが実写です。ローマ市街での実際の走行に加え、スペイン階段のシーンは、文化財保護のためスタジオに建設された巨大なセットで撮影されました。
- Q黄色い車は何?
- A
1960年前後の「フィアット500」というクラシックカーがベースです。撮影用に強力な電動エンジンを搭載するなど、大幅に改造されています。