映画『サブスタンス』が暴く現代の歪み――コラリー・ファルジャ監督が語る「女性であることはボディホラー」

Image: THE SUBSTANCE | Official Trailer | In Theaters & On MUBI Now – YouTube

カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞し、世界中に衝撃を与えたコラリー・ファルジャ監督の『サブスタンス』(2024)。本作が提示する過激なボディ・ホラー描写の裏には、現代社会に根深く残るルッキズム(外見至上主義)への痛烈な批判と、監督自身の切実な実体験が込められている。

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あらすじ:「40代での絶望」が脚本の起点

本作の物語は、往年のスターである主人公が、年齢を理由にキャリアを奪われ、若さを取り戻すための謎の薬品「サブスタンス」に手を出すことから加速する。

ファルジャ監督は複数のインタビューにおいて、本作の着想が自身の個人的な危機感にあったことを明かしている。監督自身が40代に差し掛かった際、「私の人生はもう終わった」「自分にはもう価値がない」という強烈な絶望感に襲われたとOffscreen Centralに語っている。この「社会から用済みとされる感覚」こそが、劇中で描かれる狂気的な変身願望のエネルギー源となっている。

2000年にわたる「監視」という牢獄

女性の身体が置かれている現状を「牢獄」と表現したファルジャ監督の言葉がkino avant-gardeで紹介されている。

「女性の身体は2000年にわたり、男性の眼差しによって監視され、コントロールされてきた」と監督は指摘する。若く、美しく、スリムでなければ価値がないという社会的な圧力は、個人の意識にまで内面化されている。監督は自分の中に「制御不能な自分」と「それを憎む自分」の二人が住んでいるような感覚を抱いており、その内面的な葛藤が、劇中でのエリザベスとスーの不可避な対立に投影されている。

可視化された「内なる暴力」

本作を特徴づける過激な流血描写や肉体の破壊は、単なるショック演出ではない。それは、女性が社会の基準に適応しようとする過程で、自分自身の肉体に向けて振るう「無意識の暴力」のメタファーであることをHEAVY Cinemaで明かしている。

劇中での特殊メイクや音響設計は、徹底して「肉体の質感」にこだわって制作された。自分自身の皮を脱ぎ、肉を裂いて「より良い自分」を生み出そうとする行為は、現代の過剰な美容医療や自己改造への皮肉とも受け取れる。観客が感じる生理的な不快感は、私たちが日常的に自己に対して行っている精神的な「アイデンティティの剥奪」を物理的に突きつけられた結果に他ならない。

「血まみれの革命」が問いかけるもの

本作の結末は、凄惨でありながらも一種の解放感をもたらす。ファルジャ監督は、この物語を通じて「完璧さという呪縛」からの脱却を試みた。

『サブスタンス』は単なるホラー映画の枠を超え、現代社会が強いる「若さの維持」という不可能な契約に対し、血まみれのノーを突きつける。観客は、スクリーンに映し出される醜悪な変貌を直視することで、性差なく「美の牢獄」の壁に気づかされることになる。