Image: 『国宝』 俊介編 【特大ヒットロングラン上映中】 / YouTube 2026年9月4日閲覧 「ドライアイス」に例えられる喜久雄と「真っ赤な炎」に例えられる俊介。宿命を背負う二人の個性が対比された本作のキービジュアル。((C)吉田修一/朝日新聞出版 (C)2025映画「国宝」製作委員会)
映画『国宝』は、任侠の一門に生まれながら天性の才能で歌舞伎の女形として頂点へ駆け上がっていく立花喜久雄の壮絶な生き様を描いた芸道ドラマである。本作は、生まれも境遇も正反対のライバルである大垣俊介との激しい競い合いと、狂気的なまでの芸への執念を圧倒的な熱量で描き出す。過酷な歌舞伎の鍛錬に挑んだ吉沢亮と横浜流星の、表現者としての執念と役作りの裏側を解き明かす。
宿命が交錯する「ドライアイスの冷気」と「真っ赤な炎」:相反する二人が惹かれ合う二体一対の肖像
映画『国宝』の核をなすのは、生まれも育ちも対照的な二人の歌舞伎役者が織りなす宿命の関係だ。ヤクザの家に生まれながら名門に引き取られて才能を開花させる喜久雄と、生まれながらに跡取りとしての運命を背負う俊介がそこにいる。血筋のない部外者と正統な血を引く御曹司は、単なる競い合いを超え、互いの欠落を埋め合うように深く結びついていく。
喜久雄を演じた吉沢亮の佇まいは、端正な顔立ちの奥に簡単には読み取れない虚しさを浮かべる。監督の李相日は、外面の美しさと内面の影が同居するこの特質こそが喜久雄に不可欠な要素だったと、OVNIのインタビューで語った。一方で、横浜流星が体現した俊介は、脆さと泥臭い情熱を抱えながらもどこか天真爛漫さを失わない。脚本家である奥寺佐渡子は、横浜が本来持つ朗らかさが俊介のイメージを引き上げたと、Esquireのインタビューに明かしている。
二人はそれぞれ全く異なる形の情熱を胸に秘めて、互いに惹かれ合う。李監督は、喜久雄の情熱を冷徹なドライアイス、俊介のそれを激しく燃える真っ赤な炎に例えてThe Hollywood Reporterに解説した。触れると火傷をするような熱量が、スクリーンの上で交錯する。
極限の鍛錬と「型」を超えた感情の衝突:『二人道成寺』と『曽根崎心中』に宿る二人の熱量
二人のトップ俳優は、劇中の歌舞伎シーンで代役や吹き替えを一切使わずに舞台に立つ。稽古に費やした期間は吉沢が約一年半、横浜が約一年である。元々は身体が非常に硬かったという吉沢亮は、のけぞる大技を披露するため、毎晩ベッドの上でストレッチに励んだと大ヒット御礼舞台挨拶で振り返っている。
同じ曲を同じ指導者から習いながらも、二人は舞台の上で全く異なる輝きを放つ。吉沢が女形としてのしなやかな柔らかさと色気を漂わせる一方、空手による体幹の強さを持つ横浜は、あえて可愛らしく華やかに、そして大胆に微笑む踊りを選択した。横浜流星は東宝MOVIEチャンネルで公開された対談にて、吉沢の卓越した色気を目の当たりにしたことで、俊介ならではの愛嬌に満ちた表現へ吹っ切ることができたと感謝を述べている。
完璧な技術を追求する一方で、演技の本質は形式的な美しさを超えた生身の感情を宿すことにあった。吉沢は、美しく完璧に舞うことを意識していた撮影直前、李監督から「綺麗に踊るよりも喜久雄の気持ちでやってくれ」と突然告げられたとFan’s Voiceに明かしている。これを受けて頭での準備をすべて捨てた吉沢は、汗や涙をそのまま流しながら役に魂を宿した。

役者としての「死」と「新生」:若きトップランナーが自らの全生命をぶつけたキャリアの金字塔
映画『国宝』での極限の体験は、吉沢亮と横浜流星の俳優キャリアを決定的に変えた。吉沢は好書好日のインタビューにおいて、自らの役者人生の集大成だと語り、今後数年はこれを超える作品には出会えないと言い切った。その際に自らが振り絞った力は百七十パーセントである。横浜もananのインタビューにおいて、最高傑作になったと断言し、大きな壁を乗り越えた実感を滲ませている。
本作が提示するのは、己のすべてを投げ打ち、ただひとつの美と一体化していく表現者の生き様。スクリーンから放たれた情熱の残像は、現実の歌舞伎劇場へも若い観客を急増させるという社会現象を巻き起こした。映画史に刻まれた執念の物語は、伝統芸能という枠を超え、人間が何かに命を吹き込むことの神聖さを教えてくれる。





