Image: 『国宝』本予告【6月6日(金)公開】|主題歌「Luminance」原摩利彦 feat. 井口 理 / YouTube 2026年9月4日閲覧 映画『国宝』の美学を象徴する『二人道成寺』の舞台。生い立ちも才能も異なる二人が、血と芸の障壁を越えて完璧な調和(シンクロ)を見せる瞬間。((C)吉田修一/朝日新聞出版 (C)2025映画「国宝」製作委員会)
映画『国宝』は、極道の一家に生まれながら数奇な運命により歌舞伎の世界に飛び込んだ少年が、稀代の女形として芸の頂点を目指す壮大な一代記だ。虚構と現実のあわいで狂気的なまでに美を追い求める役者たちの姿が、観る者に圧倒的な熱量と切なさを突きつける。その絢爛豪華な舞台の骨組みとなった、実在のモデルや3年に及ぶ過酷な取材プロセスの全貌を詳らかにする。
舞台裏に溶け込んだ3年間と、女形の象徴:万菊のモデル「六代目中村歌右衛門」と原作者が目撃した「役者のスイッチ」
映画化のきっかけとなったレジェンド:李監督の執念と田中泯演じる万菊に宿る「戦後最高の女形」の魂
Image: 『国宝』公開記念特番【大ヒット上映中】 / YouTube 2026年9月4日閲覧 田中泯が体現した小野川万菊の佇まい。テスト時にメイクと衣装で現れた瞬間、実際の歌舞伎の着付け師たちをも「実在した稀代の女形とうりふたつ」と驚愕させた。((C)吉田修一/朝日新聞出版 (C)2025映画「国宝」製作委員会)
映画の原点には、一人の伝説的な女形の存在がある。李相日監督はTHR Japanのインタビューにおいて、「戦後最高の女形」と称された人間国宝の六代目中村歌右衛門の映像に特別なエネルギーを感じたことが、歌舞伎映画を志す出発点だったと語っている。卓越した技巧を誇った歌右衛門は、自らの役者人生と私生活の境界線がほとんどない人物だったとされる。映画『国宝』で田中泯が演じた孤高の女形・小野川万菊は、まさにこの歌右衛門を色濃く投影したキャラクターだ。
原作の小説でも、クライマックスとなる『阿古屋』の演目を通して歌右衛門の存在感が示されていた。これは三味線、胡弓、琴をひとりの役者が演奏する過酷な演目であり、戦後は歌右衛門や坂東玉三郎といった名手だけに受け継がれてきた経緯がある。李監督は、かつて歌右衛門をモデルにした映画の企画を吉田に相談したとCREATIVE VILLAGEのインタビューで明かしている。この話し合いが、結果として小説『国宝』を誕生させ、映画化へと至る一本の太い線となった。
あぐらをかく黒衣:四代目中村鴈治郎が仕立てた黒衣を纏って歩いた全国の楽屋裏
小説の執筆にあたり、原作者の吉田修一は、歌舞伎指導を務める四代目中村鴈治郎から専用の黒衣をプレゼントされた。初対面の際に楽屋へ招待され、その翌月にはお弟子さんによって寸法を測られた上で仕立てられたのだ。黒衣を着用すれば舞台裏や楽屋でも目立たないという、歌舞伎役者ならではの粋な計らいから生まれた。吉田は、「紡ぐプロジェクト」での対談によると、この服をたいそう気に入り、自宅でも着用していた。
吉田はのべ3年間にわたり、月2、3回のペースで地方公演を含む楽屋や舞台袖に帯同し続けた。小道具を運ぶ「おかもち」を実際に持って溶け込むなど、その行動は黒衣そのものだ。トップ役者の隣で黒衣を着たままあぐらをかいて座る姿は、周囲の若手役者たちを大いに驚かせた。時間の経過とともに吉田はお弟子さんたちと世間話をするほど身内同然に馴染む。
奈落からせり上がる「モンスター感」:舞台と楽屋の“あわい”で切り替わる仮面と生身の境界線
舞台と楽屋という異なる世界のあわいで、役者たちは驚異的な瞬時の切り替えを見せる。尾上菊五郎は、舞台に上がる直前まで鴈治郎とその日の相撲の取り組みについて普通に雑談を交わしていた。ところがすっと立ち上がって舞台に一歩足を踏み出した瞬間、まったく異なる存在へと変貌を遂げる。吉田は好書好日のインタビューで、役者が一瞬で神のような姿に化ける様子を目の当たりにしたと明かした。
舞台を降りた直後の女形たちの佇まいもまた、生々しいリアリティを放つ。絶世の美女として喝采を浴びていた役者たちが、舞台裏に戻るとすぐに大股のがにまたでスタスタと楽屋へ歩いていく。おしろいを塗るだけの日常から、仮面のような美しさをまとう異世界への往来がそこにある。こうした舞台裏の日常こそが、喜久雄たちの圧倒的な「モンスター感」を描き出す血肉となった。

なぜ江戸ではなく「上方(関西)」が選ばれたのか?:「つっころばし」のダメ男に重なる近松世話物のロジックと「粘り」の美学
歌舞伎の舞台に大阪や京都を中心とする上方が選ばれた背景には、人間の脆さや俗っぽさを描く美学が関係している。正義のヒーローが荒事で大活躍する江戸の歌舞伎に対し、上方は「和事」の伝統とされる。恋に身を持ち崩し、落ちぶれていく若旦那を愛嬌たっぷりに描くのだ。このような「つっころばし」と呼ばれる頼りないダメ男の逃避行は、人間のなまなましい本質を浮き彫りにする。
ダメ男が女性と知り合って逃げていく姿は、近松門左衛門の世話物に通じる美しさがある。吉田は好書好日の同インタビューで、このパターンが自身の代表作『悪人』のプロットと運命的に合致していたことに気づいたと述べた。高尚な世界だと思って飛び込んだ先に、極めて生々しい人間ドラマの原点が存在していたのだ。
さらに、上方の芝居には特有の「粘り」という醍醐味が宿る。『曽根崎心中』を好例として、お初と徳兵衛が心中へと向かう道行は、ねっとりとした情念をはらんで展開される。李相日監督は家庭画報のインタビューにおいて、何度も花道を行き来し、逡巡を繰り返すあの粘りこそが上方歌舞伎の最大の魅力だと捉えている。その粘り強さが、喜久雄と俊介の泥臭いライバル関係を見事に引き立てている。
映画から劇場へ、そして未来の「国宝」たちへ:200億の奇跡が起こした伝統の復興と、大阪松竹座閉館の先に託されたバトン
映画『国宝』は興行収入200億円を突破し、邦画実写の歴史的な記録を塗り替える社会現象となった。この興行的な大成功は、かつてない規模で日本映画史に深く刻み込まれている。この圧倒的な熱量は映画館を飛び出し、実際の歌舞伎劇場にも若い観客を呼び戻している最中だ。スクリーンが提示した美と狂気の衝撃が、古典芸能の現場に新たな生命力を吹き込んだ。
しかし、復興の光が差す一方で、上方歌舞伎の重要な本拠地である大阪松竹座が、2026年5月26日の「御名残五月大歌舞伎」の千秋楽をもって103年の歴史に幕を閉じ、閉館した。鴈治郎は家庭画報の同インタビューで、関西の歌舞伎の灯を絶やさず、東京一極集中ではない帰る場所を残すことへの危機感を訴えた。伝統を守るためには、制度や血筋という閉鎖的なイメージを打ち破らなければならない。
現実の歌舞伎界では、全役者の半分以上を一般家庭や養成所の出身者が占めている。最後に生き残りを決めるのは、血筋ではなく、芸に対する狂気にも似た情熱そのものだ。『国宝』という作品が遺した熱狂のバトンは、劇場を訪れる新たな観客と、スクリーンの外で泥臭く生きる若き役者たちの行く手を照らし続ける。










