Image: LA VENUE DE L’AVENIR – Bande-annonce Officielle – Cédric Klapisch (2025) / YouTube 2026年9月17日閲覧 1895年のベル・エポックと2025年の現代が交錯する二重の時代構造(© STUDIOCANAL – COLOURS OF TIME – CE QUI ME MEUT – Emmanuelle Jacobson-Roques)
映画『モネと時間旅行』は、デジタルコンテンツ制作に悩む映像クリエイターのセブが、1895年と2025年の時代を行き来しながら自らのルーツを探るヒューマンドラマだ。劇中ではクロード・ドビュッシーの近代和声とシンガーソングライター・ポムのアコースティック演奏が響き合い、時代の隔たりを超えた音響空間を作り上げる。劇伴と音響演出が作品のテーマをどのように深めているのか解説する。
19世紀のクラシックと現代アコースティックが交錯する二重の音響構造
ドビュッシーの印象派音楽とポムの歌声が繋ぐ1895年と2025年
本作のオリジナル・スコアは、作曲家のロビン・クードゥール(ロブ)が手掛けた。1895年の時代パートでは、印象派絵画と共鳴するクロード・ドビュッシーのクラシック音楽が鳴り響く。一方、2025年の現代パートでは、ミュージシャンのフルール役を演じるシンガーソングライターのポム(クレール・ポメ)による素朴なアコースティック演奏が配置されている。クラシックの重厚さと現代アコースティックの繊細さが交錯する音響設計だ。
1895年の繊細な管弦楽と2025年のギターの音色は、異なった質感を持ちながらも重なり合う。異なるふたつの時代を結びつける役割を音楽が担う。聴き手は音の響きを通じて、130年の時を隔てたふたつの世界を同時に体感する。
1895年の足音から2025年の疾走へ繋ぐ音響編集とアイワスカの電子音
音響効果は、単なる背景音楽にとどまらずタイムトラベルの直接的な仕掛けとして機能する。1895年にセーヌ川の船を降りて階段を上がるアデルの足音が、次の瞬間、2025年の階段を駆け下りるランナーの足音へと切り替わる。服装と音響の質感の変化だけで時代転換を鮮やかに表現した。極めて精度が高い音響編集。
物語の終盤では、登場人物たちが自然薬草のアイワスカを体験するシーンが登場する。このタイムスリップの場面では、疾走感あふれる電子音響(エレクトロ・スコア)と高速な編集が導入された。監督のセドリック・クラピッシュはNovastreamのインタビューに対し、この場面の異質さと新しさを生み出した最大の要素は音と音楽の使い方であったと語った。音響デザインそのものが時空を歪める「時間旅行の装置」として働く。
SNS即興動画からの劇中歌誕生とデジタル時代における「本物」への覚醒
コロナ禍のInstagram動画から生まれた劇中歌とポム起用の舞台裏
本作の劇中歌は、コロナ禍のロックダウン中にポムがInstagramへ投稿していた即興動画がきっかけで誕生した。アコースティックギターによる英語の弾き語りメロディに着目した監督が、映画用にフランス語の歌詞をつけるよう彼女へ依頼している。ポムは2020年にフランスのテレビ局Canal+の番組に出演した時に『千と千尋の神隠し』主題歌の即興カバーを披露した姿がネットで話題になったこともあった。その透明な歌声はさらに磨きがかかっている。
ポムと監督は互いにやり取りを重ね、映画のストーリーと響き合う言葉を練り上げた。SNS上の即興演奏が、映画の核をなす劇中歌へと昇華されたかたちだ。ポムの歌声はギター1本というシンプルな編成でありながら圧倒的な存在感を放つ。
アコースティックな生演奏がデジタル映像クリエイター・セブに与えた衝撃
Image: LA VENUE DE L’AVENIR – Bande-annonce Officielle – Cédric Klapisch (2025) / YouTube 2026年9月17日閲覧 ギター1本と生の歌声で演奏するフルール(ポム)と撮影に臨むセブ(© STUDIOCANAL – COLOURS OF TIME – CE QUI ME MEUT – Emmanuelle Jacobson-Roques)
主人公のセブは、SNSや広告向けのデジタル映像制作に携わりながらも不安を抱いている。セブを演じたアブラム・ヴァプレはThe Upcomingのインタビューで、役柄が自身の活動の浅さに悩み、過去を探ることで未来の方向性を見出していくプロセスを明かした。表層的なデジタル消費への疑問が彼の出発点となる。
フルールのミュージックビデオ撮影で、セブは彼女が生の歌声とギターだけで奏でる演奏を目の当たりにする。装飾を削ぎ落とした生演奏は、デジタル編集に慣れきったセブの心を大きく揺さぶった。表層的な画像加工から、人間の息づかいが残る「手仕事のアート」へと彼の意識が切り替わる。アコースティックの音が主人公の情操的な覚醒を導く。

モネの《睡蓮》とドビュッシーの和声が起こした「19世紀末の芸術革新」の調和
オランジュリー美術館に展示されたクロード・モネの巨画《睡蓮》の場面では、ドビュッシーの楽曲が重なり合う。19世紀末、光の移ろいを捉えた印象派絵画と、従来の機能和声から脱却した近代音楽は平行して生まれた。どちらも写実的な再現から離れ、現実に対する新たなアプローチを模索した芸術運動である。
クラピッシュ監督はJeu de Paumeのインタビューにおいて、オランジュリー美術館の場面でドビュッシーの音楽以上にしっくりくるものはなかったと語った。絵画と音楽が同じ時代精神と革新性のもとで融合していたからだ。スクリーンの上で19世紀末の視覚と聴覚の革新が見事に調和する。

自動生成や効率化が進む現代社会において「人間の息づかいが宿る音」が持つ価値
映画の冒頭では、モデルの着る服の色に合わせ、モネの絵画の色をデジタル加工で変更しようとする現代の撮影風景が描かれる。画面の向こうで簡単に色を変え、効率的に消費する現代の傾向に対する風刺だ。作品全体を通して、デジタルな利便性と、人間の手仕事による生々しい表現が鮮やかに対比されている。
クラピッシュ監督はCineuropaのインタビューに応じ、物語を創作することは誰も行ったことのない場所を目指す作業であり、過去のデータに依存するAIとは真逆の営みであると主張した。また、同監督はfranceinfoに対し、現代社会が経済的効率主義に偏重している点を指摘している。自動生成技術やAIが普及する現代において、不完全さや人間の息づかいを含む生の音は、いっそう貴重な輝きを放つ。
手軽なデジタルコンテンツが溢れる時代だからこそ、人間が直接生み出す歌声や手仕事の温もりが人の心を打つ。画面越しでは得られない生の響きが、作品を通じて問いかけられている。








