デンマークのアナス・トマス・イェンセン監督が手がけた映画『さよなら、僕の英雄』(原題:Den sidste viking、英題:The Last Viking)は、銀行強盗の弟と、解離性同一性障害を抱える兄の姿をユーモアと残酷さを交えて描いた作品。一見すると風変わりなコメディやクライムサスペンスのように思えるが、物語の奥底には家族のトラウマやアイデンティティ、そして他者を受容することの難しさと尊さが描かれている。本記事では、複雑な物語で何が起きたのかを整理した上で、兄がなぜ「ジョン・レノン」の人格を必要としたのか、そして不完全な兄弟が迎える結末の真の意味について考察する。
ミケルセンは、Eye For Filmのインタビューで、マンフレルの精神年齢が6歳前後で止まってしまっていることに触れ、彼がジョン・レノンを選んだ理由について語っている。幼い頃、彼は父親がジョン・レノンを好きであり、世界中の誰もが彼を愛していることに気づいていた。同メディアに対し、自分が世界中から愛されるジョンになれば、弟も自分を愛し、今度はもう二度と見捨てずにそばにいてくれるかもしれないという、子どものように純粋な計算があったと説明している。
さらに、こうしたアイデンティティの探求というテーマは、現代社会を強く反映したものでもある。The Hollywood Reporterのインタビューによると、アナス・トマス・イェンセン監督は、SNSが普及した時代において人々が「自分自身を定義すること」に多大な時間を費やしている現代のアイデンティティ文化から着想を得たと述べている。キャラクターたちの不合理な行動は、自己を確立しようともがく現代人の姿と必然的に重なっている。
なぜこのような表現をとるのかについて、マンフレル役のマッツ・ミケルセンは、The Hollywood Reporterのインタビューで監督の作家性に触れている。彼によると、監督は生や死といった巨大なテーマを直接的に語ることを「気取っている」と嫌い、あえて狂気で包み込んでいるのだという。同インタビューでミケルセンは、その狂気の中心には非常に詩的で心に響く兄弟の物語があるのだと語っている。
アナス・トマス・イェンセン監督は、The Hollywood Reporterのインタビューにおいて、この童話の意味を語っている。現代は誰もが自分自身を定義し、アイデンティティを探求できる素晴らしい時代である一方、周囲がその個人の現実に全て合わせなければならないとなれば、それは不条理な事態を招くと指摘している。監督はこの童話を通じて、全員が同じであるべきだという、極端な同調圧力やアイデンティティへの傾倒には限界があることを示している。